世界がさばく東京裁判
佐藤 和男 著私は高校で日本史を専攻していたんだけれど「東京裁判」を習ったかと聞かれると、ぶっちゃけ覚えてない。
現代史は試験に出ないとか言われてた気もするんだけど、「極東軍事裁判」と言われると習ったかな〜???と思う程度だ。
でも確実にいわゆる「東京裁判史観」をもって育ったことは間違いない。
いわゆる「日本が悪い国でした。だから原爆を落とされても仕方ないのです」的考え。
私が東京裁判というものをちゃんと自分の中で認識したのはごく最近のことで
それと同時にその裁判には多くの問題があることを知った。
外国ではこの裁判とドイツでおこなわれたニュルンベルク裁判をどう評価しているのだろうか。
歴史で習う国、習わない国はあるだろうが、圧倒的に習わない国の方が多い気がする。
ただそれを知っている人の中ではあの裁判は「裁判」ではなく
「政治パフォーマンス」だったと思ってる人が多い、という感じなんだろうか?
(全くの想像)
そして実際その裁判を受ける側になった日本では
この裁判がいかにおかしなものであったかを多くの人たちは知らない(と思う)
この本は東京裁判を特に法律から見た本だった。
当時の国際法がいかなるものだったのか、極東軍事条例とは、パリ不戦条約とは。
またその後の世界にこの2つの裁判(東京裁判・ニュルンベルク裁判)はどう影響したのか。
東京裁判の何がどうおかしかったのか。
大きな点でいうと
・戦勝国が戦敗国を裁くという体制をとったこと
・事後法で裁かれたこと
(後から出来た法律で過去のことを裁くという異例の事態だったこと)
・戦勝国の犯罪は一切問われなかったこと
また日本人が間違いやすいと思った点
・ポツダム宣言は「無条件降伏」ではないこと
・8月15日に戦争が終わったのではなく休戦協定に入っただけ
(日本が本当に独立したのは講和条約が結ばれた昭和27年4月28日である)
とくに後者に関しての間違いは大きいと思う。
ポツダム宣言の受諾によって日本は戦争をやめる。
しかしそれはあくまで武器を使う戦いが終わっただけであって戦争状態が終わったわけではない。
その後GHQによる日本の占領が始まり、そこから講和条約発効までの7年の間
日本の書物は全てGHQが監視した、つまり東京裁判批判、GHQ批判、あるいはアメリカを含む戦勝国批判する書物は発行できなかった。
またその7年の間にアメリカはいわゆる「サヨク教育」の始まりとなる日教組の促進を含めた、「日本は原爆を落とされてもしょうがないような悪いことをした」的プロバカンダ(宣伝活動)をおこなった。
講和条約が発効された後、当然東京裁判批判の本が次々に販売されたり
戦犯で処刑された人を「公務死」として遺族に対して恩給を送るかなど審議されたりしたが
結局はそのプロバカンダに洗脳された人が増えたのだろうか
日本は「東京裁判史観」を受け入れ、「サヨク教育」によってそういう考えをもった人がどんどん増えていった。
私は今までも何度も言ってきたが今更この裁判をどうこうしようとは思わない。
今更日本が戦勝国の罪を問うなどというのは今の中国や韓国がいつまでたっても
日本に謝罪や賠償金を求めるのと同じだと思うし。
ただ「日本人として知っておくこと」は必要だと思う。
もしアメリカ人に「日本は原爆を落としてもしょうがないような悪いことをしたんだ」と言われたら、言い返すくらいの知識を持っておきたいと思っている。
(言語の問題は考えないことにして・笑)
あの戦争を日本の侵攻戦争だったと考えるか自衛だったと考えるかは人それぞれだと思う。
あの裁判を取り仕切ったマッカーサーですらわずか2年後に東京裁判は間違いだった。
アメリカがあのときの日本と同じ状況だったら戦争していたと発言した。
(まったく無責任もいいとこだ)
その考えは人それぞれだが、それを差し引いてもあの敗戦濃厚な時に原爆を落とす必要があったのか。
ソ連はあの状況の中で日ソ不可侵条約を破ってまで日本を攻め、北方領土を奪う必要があったのか。
私は日本が全て正しかったとも思っていない。
もちろん自衛戦争だった部分は大きいと思う。
この戦争は白人対カラードの戦争だったという考えにはかなりうなずけるし
なんの資源もない日本が包囲網によって資源を送るルートを断たれてしまった時
日本が選ぶ道は連合国の意志に従うか、戦うかしかなかったから。
ただ日本こそが善で、連合国こそが悪だとも思っていない。
問題はやっぱり公平に裁かれなかったこと。
これは本当に大きいと思う。
この本の最後にあって大いに共感できたのがあの裁判をもって
「アメリカの正義こそが正義」という印象を世界に与えてしまったこと
この影響は今も大きく残っていると思う。
日本には反米はほとんどいないと小林よしのり氏が言っていたのを思い出した。
いわゆるホシュと呼ばれる人たちは親米
左派とかサヨクと呼ばれる人たちは反米と言われているが
結局彼らのもつ歴史観は「東京裁判史観」であり、それを受け入れいている時点で
どんなに今のアメリカに反対したところで結局アメリカの考えを認めていることになる、と。
このところ靖国参拝などを見ていても日本はずいぶん中国や韓国にNOが言えるようになってきたと思う。
田嶋陽子氏が「歴史の時間が巻戻っている」と批判するような部分で。
でも日本が本当にNOを言わなくてはいけないのはアメリカなのだ。
もちろん当然ながらなんでもかんでもNOと言えと言ってるわけではない。
世界にとっても、日本にとっても日米安保というのは大きな役割を示していると思う。
日本が戦後、戦争をせずに来たのは決して憲法9条のおかげではない。
この本にもあったが「日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄しない」のだ。
つまり戦争というのは相手あってのこと。
こちらがどんなに拒否をしても、相手が攻めてこれば日本は戦争をしなくてはならなかった。
それをせずに来たのはやはり日米安保の存在は大きかったと思う。
ただ日米安保のためにアメリカの主張を全て受け入れることもまたダメなのだ。
日本がアメリカにもっともっときちんと意見を言えるようになったら、日本はもっと変わると思うし、そういう日本を目指すことが大事なのかもしれない。
この本、難しいっちゃー難しいけどオススメします。
読んでいるとアメリカが嫌いになります。
ルーズベルトとか最低だなとか思います。
でもそういう感情を私は否定しない。
イコール自分は反米、だとも思わない。
大事なのは未来だと思いたいから。